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HOME>DOTMANの能天気な日々>DOTMANの思い出:その5

DOTMANの思い出:その5

中学時代、日本にて

しつこくDOTMANの育ち方:中学時代2


 
目次
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11. 愚息はじじいか?!

久しぶりに愚息を連れて買出しに行った。冷蔵庫も食料庫も空っぽ状態なので、荷物持ちを連れて行ったのだ。何の話からそういう話題になったのか、忘れてしまったが、「車というのは、古くなると弱くなるのか?」と尋ねられ、「形あるものは全て壊れる。車も例外ではない。」と答えると...「昔はもっと頑丈にできていたと思うがのう」と...「お前はじじいか?!」と思わず叫びそうになった。

実は今日、愚息の友人達がディズニーランドへ行っている。仲間の親の一人が、全員をディズニーランドへ連れていってくださるとかで、愚息にお前も行って来いと言ったのだが...
「いやぁ、最近疲れ気味だから、家でゆっくりしてる」...やっぱりじじいだ!

話がちょっとずれるが、愚息は今、中1だ。小学校入学のお祝いに買ってあげた“ドラゴンボール”の筆箱をいまだに使ってる。ボロボロなんてもんじゃない。あちこちに瞬間接着剤やテープがついている。鉛筆削りはなくなっているし...はっきり言って汚い!何度も買い換えようとしたのだが、その度に、「まだ使える。もったいない。物を粗末にするんじゃない。」と愚息に叱られてしまう。

私は、基本的に使い捨てのものは使わない主義だ。BBQなどで人が集まる時のために我が家には割れにくい大皿が30枚ほどある。普段はもっと良いのを使っているのだが(家族の方が客より良い食器を使うのも主義のひとつ...毎日使うものは気に入ったものを)、愚息は洗いやすいそのお皿を良く使う。先日、ふっと見ると、棚につんであるお皿を全部取り出し、一番下のから使っている。「何故そういうことをするの?」と聞くと「母さん、母さんは上から使って、洗ったら上に重ねるでしょう。時々入れかえないと、一番下のはずっと使わないことになって、汚れが溜まる。」 

おお、奥にしまってある私のお気に入りのコップを時々使っていたのは、やはりお前か!

・・・しかし普通子供がそ~いうこと考えるか?

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12. 心と魂

先日、人に薦められて遠藤周作の「スキャンダル」を読んだ。文学と呼ばれるものを読んだのはなんと20数年ぶりである。やはり文学は文章が読みやすい。

遠藤周作の本は、高校時代に「死海のほとり」「沈黙」「海と毒薬」「白い人・黄色い人」の4冊読んだだけだ。あまり好きな作家ではなかった。それでも人に薦められるとついつい読んでしまう癖があって(以外に素直な性格だな)...とても面白かった。

読後しばらく考えこんでしまった。考えていると“自我”“心”“魂”というのが混乱してきまして、隣でぼけーっとテレビを見ている愚息に尋ねてみた。

「心ってどこにあるの?」
「脳の中」
「自我は?」
「同じとこ」
「じゃ、魂は?」
「身体の全部。隅々まで入ってる。」
「死ぬとどうなる?」
「心と自我は消える。魂は昇天する。」
「じゃ、事故かなんかで腕が切り落とされたら、腕に入ってた魂はどうなるの。」
「腕は無くなっても、腕のあったところに魂は残る。残った身体の中に入るのかもしれない。全ての肉体が滅びるまで魂はそこにとどまる。魂は切断されない。」
「心と魂ってどう違うの?」
「心は脳と同じ、身体の一部。死んだらおしまい。心は人にコントロールされることはない。悪い心は自分の責任。魂は永遠。それに神、もしくは他人の影響を受ける。魂を奪われると、奪った人の肉体までコントロールをされてしまう。」
「で、生きてる人間にとって、心と魂はどうかかわってくるわけ?」
「心と自我っていうのは多分同じだと思う。苦難を乗り越えることによって強くなる。魂は無我の境地に達することで浄化される。」
「お前ねえ、何故そんなこと知ってるの?」

Mortal Combat(戦闘系のゲームです。映画にもなりました。)とHave a Nice Day(プロレスラーの自伝)」

出典は・・・そんなもんだろうな。

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13. 息子自慢

今日は、久々に自慢しよう。

10月に“Youth Summit”というのがある。スポンサーは米連邦議会、警察の訓練所であるそうだ。各学校から2名つづ代表者が集まって...何の話をするのかまでは、私は知らない。ギャングとかドラッグとかの問題について話し合うのだと思う。で、愚息が代表に選ばれました。

愚母「ほぅ、お前が選ばれた!凄いじゃない!」
愚息「良い子代表と悪い子代表を一名つづ選べっていうリクエストがあったんだって。僕、悪い子代表ね。
愚母「なるほどね...おい!ちょっと待て!一体お前の何処が悪いんだ?!」

愚息は、成績は悪いし、スポーツも出来ない上に、態度だけはデカいのだが、性格がとても良い子だ...と母は思っている。

私の質問に愚息は即答。
「親」

その後、ボソッと「僕は完璧」...我が子だ!

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14. 初めての長ズボン
(スラックスと書け!スラックスと!)

愚息はずっと半ズボンを愛用していた。理由は...長ズボンをはかせると、すぐに膝を破ってくるからだ。
半ズボンだと、膝を擦りむいてくるが、これはほっとけば治る。敗破れたズボンは直さなければならない...という単純な理由からだった(母の都合だ)。

実は、もうひとつ隠された理由が...愚息はデブだから、ウエストに合わせて探すと子供用のズボンが無い!半ズボンといっても、中途半端な丈をはきたがるから、大人用の半ズボンが丁度良かったわけだ。

が、愚息も中学生になって、身長もそこそこ伸びたので、大人用の長ズボンもはけるようになった。(しかもスネ毛が目立ってきて、半ズボンはみっともない...と思っているのは母だけだろうか?)

で、ズボンを買いに行った。これまでは私が選んでいたのだが、まぁナント注文の多いこと。「コーデュロイ嫌」「ジーンズは僕のスタイルじゃない」etc.ジーンズはいてくれると長持ちするんだけどなぁ・・・

それにしても、中学生になったら自分の服は自分で選ぶというのは当たり前なのだろうか??

丈を調整して、これで良し...と思っていたのだが、はいているのを見るとひきづってる!えーっ!丁度よくしたじゃない!と思ってよくよく見ると、ズボンをずらしてデレーッとはいている。これが今の子のズボンのはき方...だそうだ。

だから、あんなに大きなサイズを選んでたのね・・・ちょっと安心。

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15. 成績中間レポート

愚息の学校(アメリカの学校はほとんどそうだと思うが)は、一年が大きく二つ分かれ(First Semester と Second Semester)、それぞれが、また二つに分かれてる(Quarter)。早いもので、9月に新学期が始まってから5週間が過ぎ、愚息がFirst Quarter の中間レポートをもらってきた。

愚息はフットボールをやっている。こちらの学校は成績が悪いとチームから外されてしまう。といってもC(5段階の3です)をとっていれば良いのだから、そう難しいことではあるまい。それとは別に、私は愚息には主要4科目はB以上、他の科目はC以上という条件を課している。で、ありましたな、ナントDが!第二外国語のスペイン語がDだった。語学の才能がないのは私似であるから、責めるわけにはいかないのかもしれないが・・・やはりDは許せん!

お約束であるから、フットボールのコーチに「成績が悪かったので止めさせます。」と言いに行った。コーチは保健・体育の教師だ。愚息、体育は当然Aだが、保健のほうはさっぱりだ。コーチが言うには・・・

「保健はCのはずだったが、お情けでBにしてやった。その後(愚息)の成績表を見てDがあったから、平均が下がってチームから外さなくてはいけなくなると困るからあわててAに上げてやったのに、止めるなんてとんでもない!止めたらCに落とす!

おお、それが教師たるものの態度か?・・・態度だ!それにしても、Cから一気にAに上げてしまうとは・・・
と、思いつつも勢いに押されてしまった。これだから愚息に舐められるんだとブチブチ一人で言いながら帰って来た愚母であった。

愚息はディフェンスのラインマンというしょーもない(かどうか全然わかりませんが・・・フットボールの知識無し)ポジションではあるが、上級生に混じってレギュラーのポジションを頂いている。たとえフットボールでも「お前の息子がいないと困る。」と言われると、嬉しくなってしまう親馬鹿である。愚息は「頑張って今度は良い成績とってくるから」と言っておるが、口だけだというのは明らかだ。

ちなみに、先週のある日の愚息の生活。6時半起床。7時50分から学校。5時半にフットボールの練習終了。6時帰宅。夕食。7時に家をでて7時半から10時半まで剣道。11時帰宅。シャワーを浴びて、宿題・・・できるはがない!夜中の1時まではつきあってあげたが、それが限界だった。(だって私5時起きだもん。)

そう言えば、9月になってから大好きなゲームにも手をつけてない様子。健康的といえば健康的な愚息の生活である。寝不足だからそうでもないか。

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16. 毎晩ご苦労様です

読書感想文提出日前夜のことであった。

愚息「今日〇〇と〇〇(どちらも愚息の親しいクラスメートです)、学校休んだんだよ。」
愚母「どうして?」
愚息「明日、読書感想文の提出日だから、今日学校休んで本読むんだって。
僕もまだ読み終わってないのに、どうして母さんは休ませてくれないの?」
...ってそういう理由で学校休ませるか?

夜中の1時を過ぎても終わらない愚息が可愛そうになった私はついつい手伝ってあげることにした。と言っても、代わりにやってあげることはできない。私が書くと立派すぎるレポートが出来てしまう...嘘である。文法の間違いだらけでF(不可...って古い?)確実。

という訳で、愚息が隣で口述するのをワープロで打ってあげた。手書きは認められないのだが、愚息はタイプがやたらと遅い。きっと父親に似たのであろう。

もう眠くて眠くて・・・やっと終わった頃には怒りが爆発!(怒るくらいなら、最初から手伝わなければ良いのである。)「さっさと寝ろ!」と怒鳴ってしまいました。

愚息、ペコリと頭を下げて...
「では、寝ます。
毎晩毎晩、ご苦労様です。」
と言い残して去って行った。

...完璧に舐められている。

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17. 日めくりカレンダー

日めくりカレンダーというものがある。実は、あれが好きだ。小さな事でも毎日続けられる人になりたい、と思い何度か買ってみた。が、頑張っても3月くらいまでしか使ったことがない。飽きっぽいのだ。いつの間にか、忘れてしまっている。

会社勤めをしていた時は最後まで使っていた。その日にしなければならない仕事を書いている訳だから、これは当たり前だ。いくら飽きっぽいからといって、毎年3月で仕事を止めるわけにはいかない。

私がダウンタウン(LA)で働いていた頃は、仕事納めの日に、一年間使った日めくりカレンダーをオフィスの窓から道路にぶちまける、という習慣があった。今でもあるのだろうか?あれは、中々見ごたえがあった。ずらーっと並んだビルから、吹雪のようにカレンダーの紙が舞う。。綺麗だ。

で、誰が掃除をするのだろう...とは誰もが考えると思うのだが、だいたい12月31日まで出勤しているのは下っ端ばかりだから、もうほどんどヤケになっていたのだろう。

日めくりカレンダーには色々な種類がある。。「一日一語」「マーフィーの法則」なんていうのが有名でだ。去年のクリスマスに、愚息(やっと出てきた)にも日めくりカレンダーをプレゼントした。地味なプレゼント...とお考えの方もいらっしゃると思うが、愚息はとても喜んでおった。(単純だ奴なのだ。)テーマは...もちろん、プロレス。

さて、今年も残り2ヶ月ちょっとになった。愚息の日めくりカレンダーは着々と薄くなっている。朝起きると、必ず一枚めくって読む。何故、毎日忘れずにああいうことが出来るのか、不思議でたまらない。暇なのだな、きっと。日めくりカレンダーを毎日めくるのと、何時に寝ても、朝6時半には必ず起きてくるという2点に関しては、愚息を尊敬しいる。(実は今朝も愚息に起された。)

私でも毎日使いたくなるような、飽きの来ない日めくりカレンダーを知ってる人がいたら教えて欲しいものだ。

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18. 国語の期末テスト

週一回の日本語学校といえども、中学部になれば期末テストがある。いくらなんでも全教科0点はマズイだろうと思って、『練習問題』というのをやらせてみた。範囲は『竹取物語』だった。

問題:次の言葉の口語訳を書きましょう。
今は昔→今は今だと思ってるだろうけど、実はまだ昔なんだよ
ありけり→ありをけって遊ぶ昔のゲーム
まじる→まじめになる
いと→ストリング
あやしがりて→あやしいヤツだと思うこと

もう勉強せんでもよい。無駄な努力じゃ!

匙を投げた決定的問題:竹取の翁の名前は何といいますか。原文から抜き出しなさい。

愚息の答「おきな たけし」
...勝手に作るな!

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19. お気の毒に・・・

息を迎えに行った帰りに買い物をする。以前は腕の力には自信があったのだが、最近衰えてきて・・・愚息は何の役にも立たないが、力だけはあるので荷物持ちにするのだ。彼は文句も言わず、ショッピングカーとを押しながら私の後を従う。

もちろん男の子だから(という言い方も変だが)買い物は大嫌いだが、スーパーマーケットだけは文句を言わずについてくる。文句を言っても無駄だということもあるのだが、食べることが好きなので、自分で(お小遣いを使わずに)買い物をしてしまおうという魂胆もあるようだ。同じものばかり食わされてはたまらん、と夕食の献立作りにも積極的に参加する。食事は彼の存在理由なのである。

買い物していかないと「あ、材料が無い。夕食作れない。」と平気で言い出す母を持つとこうなるのであろう。毎日学校が終わって車に乗ると「だたいま、今日の夕食何にしよう?」が挨拶だ。(ちなみに、朝の挨拶は「おはよう、朝ご飯、何?」で、出かける時の挨拶は、「行ってまいります、お弁当何?」である。時々「おやすみなさい。明日のお弁当は○○作って下さい。」とリクエストを出すこともある。)

で、買い物の話だ。私がお金を払っている間、愚息は荷物を持って外で待っているのだが、今日は警備員のおじさんと入り口のところで話し込んでいた。割とマメに挨拶をする子なので、警備員のおじさんとも仲良くなってしまうのだ。(でも、普通するか?)後で何を話してたの?と聞いたら・・・

「母さんのこと指して『彼女はお前のワイフか?』と聞かれた。」と憤慨していた。悪いけど・・・笑った笑った!くっくっく、13歳にして既婚に見られるとは、愚息もそーとーの“おじさん”である。我が子ながら気の毒だなぁ。(おかしいけど)

余談ですが、夜開いているお店には、大抵警備員がいる。理由は、言わずもがな。LAはそういう町なのだ。学校にもちゃんといる。。もちろん、皆愚息のお友達であることは言うまでもない。

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20. DOTMANの鞄

こちらには学生鞄というものがない。皆、自分で選んだバックパックを使っている。女の子の集団を後ろから見ると、ピンク、オレンジ、黄色...色とりどりのバックパックが中々可愛い。。(その点、男の集団は可愛くない。)

愚息のバックパックは黒だ。銀の糸でメーカーの名前が入っていた部分は、黒く塗りつぶしてしまいまっている。ブランド・ネームがわかるのは恥かしいそうだ。特にデザイナーズ・ブランドを嫌がる(ま、気持ちはわかるが)

何でも一度買うと、ボロボロになっても買い換えるのが嫌いな子であるから(小学校入学時に買ってあげた“ドラゴンボール”の筆箱はなんとかして買い換えたいと思っているのだが、愚息の抵抗にあって、今だかなわず)、ちょっと高かったけれど頑丈なのを買った。ボロボロになるまで使うのと物を大切にするというのとは違う。愚息のバックパックは投げられたり踏まれたり、かなり虐待される。しかも、大きいのを買ったのに、パンパンに膨れ上がっている。

アメリカの教科書はやたら大きくて重い。全てハードカバーだ。ちなみに数学の教科書は縦27cm、横20cm、厚さ3cm、重さが1.3kgだった。これが国語(文法、リーディング、ライティング)、数学、理科、社会、地図帳、年鑑、その他もろもろと何冊もあるだから、全部持ってまわるととんでもない重さになる。

何故そんなに丈夫な教科書かというと、教科書は学校の備品だからだ。生徒は学校から1年間借りることになっている。同じ教科書を何年も使うので丈夫でないと困る。アイデアは悪くない...が、重い。(私が持つわけじゃないからよいか...)

愚息は今年の9月から中学生になった。中学校にはホームルームがない。教科ごとに先生の教室へと移動する。そこで、重い教科書などはロッカーに入れておくことになっている。一日の終わりに、宿題で使う教科書だけを持って帰れば良いのだ。(主要4科目は宿題が出ない日はない。)

が、愚息はいちいちロッカーに行くのが面倒なのだそうだ。で、教科書を全て持って回っているらしい。バックパックの重さを量ったら15kg以上あった。バックパックがボロボロになるはずだ。

それにしても、15kg以上もあるバックパックを片手でひょいっと持って回ってる愚息を見る度に、余り怒らせないようにしよう...と思ってしまう。

どうでも良いけど、宿題が出ない聖書くらい学校に置いて来たら?読みたかったら家にもあるんだし...読みたいわけないか。

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21. 映画のあらすじ

赤ん坊の頃からビデオを見て育った愚息は映画が大好だ。家でビデオを見るのも映画館へ行くのも好きなようだ。私も映画は好きなのだが、最近、愚息に映画に連れて行ってもらえなくなった。

まだ運転ができないのだから、映画館までは連れて行ってあげなければいけないのだが、友人と見たがる上、親が一緒に入るのを恥かしがる。ま、当然と言えば当然なのだが。

一体何時の間に見たんだろう・・・と思うくらい良く見ている。私はほとんど映画館には行かない。ビデオで見ることにしている。一緒にビデオを借りに行って、見たい映画があると「これ、どういうストーリーだった?」と愚息に聞くと、大抵答えが返ってくる。が、そのあらすじが酷い!

例えば『サイダー・ハウス・ルール』
「サイダー・ハウスに住んだこともない誰かが勝手に作ったルールに腹を立てた住人が暴動を起してサイダー・ハウスを燃やしてしまう。」
例えば『フレクエンシー』
「30年前に死んだ父親と無線で話せるようになった息子が、父と一緒に過去をどんどん変えていき、そのせいでまわりから人が消え始め・・・最後はひとりぼっちになってしまう。」

全然違うじゃないか!一体どういう映画の見方をしどるんじゃ!わざとかな?

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22. それだけは許さん

さて、『DOTMANの思い出』の最後は、真面目な話である。真面目な話なので、掲載するのは止めようと思ったのだが、我が家の記録として残しておくことにした。

最近、母子喧嘩の話ばかりだ。それだけ毎日喧嘩をしているということなのだろう。(なのだろう、ではない、そうなのだ!)

目上の人に対する言葉遣いにはうるさい方なのだが、愚母は『目上の人』に入っていない。ヒトとして認められてもいない・・・愚息に言わせると、「ヒト」とは別に「ハハ」という種があるそうだ。

売り言葉に買い言葉・・・私もつい受けて立ってしまう方なので、母子間の怒鳴りあいは認めている。全ての大人に対して気持ちを抑えていては、精神衛生上よろしくないだろう・・・と。我が家では、父親に対しては絶対服従なのだ。

ただし、これだけは許せないということがある。先日、怒鳴りあいの途中、愚息が突然「わかった。ごめんなさい。」と言った。えっっと・・・実際に愚息が口にしたのは、"OK, I'm sorry."これだけは許せない!

何故、謝っているのが許せないのか?この"I'm sorry."というのが曲者なのである。正しい英語ではこういう曖昧な言い方はしない。(もちろん、わざとする場合もある・・・愚息のように)これでは何に対して"sorry"なのかがわからない。「ごめん」なのか「気の毒に」なのかもわからない。『不完全な文章』である。

余談だが"Thank you."も同じだ。"I'm sorry for..."と続けなければならないのと同じで"Thank you for..."と続かなくてはいけない。もちろん、わかりきっている時は省略可

つまり、愚息が言ったのは、「僕が間違っていた。ごめんなさい。」というふうにも取れるのだが、「もういいよ、こんな会話になっちまって悪かったな。」という意味にも取れる。

で、愚息が意味するところは、もちろん後者である。つまり、「喧嘩打ち切り宣言」こういうのってないよなぁ。

世代が違うのだから、いくら話し合っても分かり合えない部分は確かにあるだろう。しかし、少なくとも理解したい、という気持ちは持ちつづけて欲しい。会話(例え怒鳴りあいであれ)を放棄してしまう人間にだけはなって欲しくない。

私だって怒鳴り合いはしたくない。が、落ち着いて話し合いをするほど人間ができてないので、せめて怒鳴り合いでもコミュニケーションは保ち続けたいと思う。

子育てにおいてこれだけは絶対許せないこと、それはコミュニケーションの拒否とコミュニケーションの技術を磨くことを怠ることである。


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『DOTMANの思い出:その6』に続く。